最近、SNSやレビューサイトで「啜れました」という言葉を目にすることが増えていませんか?
一見すると「麺類やスープを飲むことができた」というシンプルな感想のようですが、実はこのフレーズには、「やんわりと低評価を伝える」という、現代ネット文化特有の裏の意味が隠されています。この独特の表現は、日本人の「察する文化」とインターネットの皮肉なユーモアが融合して生まれた、非常に興味深いミームです。
本記事では、この謎めいたキーワード「啜れました」について、正しい読み方から、ネットスラングとしての本当の意味、そして元ネタ・発祥の経緯まで、徹底的に解説します。これを知れば、あなたもネットの会話のニュアンスを深く理解できるようになるだけでなく、無難に意見を述べたいときの「奥の手」として活用できるようになるはずです。
ネットミームとしての意味を理解する前に、まずは「啜る」という言葉が本来持っている、日本語としての基本、そして食文化における位置づけを確認しておきましょう。
漢字「啜」は、訓読み(日本語固有の読み方)で「すす(る)」と読みます。音読みでは「セツ」「テツ」などがありますが、日常会話で使われることはほとんどありません。この「啜る」を丁寧に過去形で表現したものが「啜れました」であり、読み方は「すすれました」となります。
漢字: 啜る
ひらがな: すする
読み方: ススる
「啜れました」の読み方: ススれました
辞書(デジタル大辞泉など)によると、「啜る(すする)」の一般的な意味は以下の2つに大別されます。
液状のものを吸い込むようにして口の中に入れる これは、主に食事に関する行為を指します。(例:ラーメンやそばなどの麺類を啜る、熱いお茶を啜る、おかゆを啜る)。 特に日本では、麺類を音を立てて啜る行為は、料理への感謝や美味しさを表現する行為として受け入れられています。
垂れた涙や鼻汁を息とともに吸い込む こちらは、体液を吸い込む行為です。(例:風邪で鼻水を啜る、悲しみに暮れて涙を啜る)。この場合、啜る行為は通常、悲しみや不調を表すネガティブな要素を伴います。
特に、ラーメンやそばを食べる際に「音を立てて吸い込む」という行為が、日本の食文化では象徴的な意味を持ちます。この「食事が可能であること」の肯定的な側面が、ミーム化によって逆説的に使われることになります。
「啜れました」は、「啜る」という動詞に、以下の文法要素が組み合わさった形です。
動詞: 啜る(五段活用)
可能形: 啜れる(啜る能力がある、ここでは「食べられる状態である」ことを示唆)
過去・完了: 啜れた
丁寧語: 啜れました
したがって、文法的に見ると「啜るという動作を完了できた(あるいはその能力があった)」という非常に中立的で客観的な事実を述べているに過ぎません。極端に言えば、「この食品は毒ではなく、物理的に口に入れることが可能であった」という最低限のレポートです。この「事実を述べるだけ」という冷めた客観性が、感情的な感想を期待する聞き手にとって、ネットミームとしての特殊なニュアンスを生む鍵となります。
本来は単に「食べられた」という意味に過ぎない「啜れました」が、なぜインターネットの世界では、ポジティブな要素を一切含まない低評価のシグナルとして定着したのでしょうか。
ネット上、特にレビューや感想の場において「啜れました」は、以下の感情や評価を遠回しに、皮肉を込めて表現する役割を果たします。
| 評価の内容 | 表現のニュアンス | 表現に含まれる裏の感情 |
|---|---|---|
| 低評価・不満 | 「不味い」「つまらない」と直接言いたくない(言えない) | 失望、落胆、不快感 |
| 無難に終了したい | 場の空気を壊さず、当たり障りなく感想を終えたい | 疲労感、諦め |
| 消極的な合格点 | 「とりあえず最後まで食べ(見)た」という事実のみを伝える | 義務感、無関心 |
つまり、「美味しかった」「感動した」といった積極的なポジティブな要素は一切含まれておらず、「最低限の動作は完了したが、特筆すべき良い点は一つもない」という、極めて低い評価(事実上の低評価)を示唆する言葉なのです。
この言葉が低評価となる背景には、食べ物に対する人間の期待値が関わっています。
美味しい料理に対する感想は、「また食べたい」「感動した」「最高」など、感情を伴うものです。これに対し、「啜れました」という表現は、「不味くて吐き出すこともなく、なんとか喉を通すことはできた」、つまり、食欲や快楽とは無関係に「物理的に摂取可能だった」という事実だけを伝えます。
この態度は、単に「可もなく不可もない」という中間評価ではなく、「不味いが、マナーとして完食・視聴した」という、極めて冷淡で消極的な評価を比喩的に示しているのです。この皮肉めいた言い方が、特にユーモアを好むネットユーザーに刺さり、広く使われるようになりました。
「啜れました」と同様に、本音を隠して遠回しに不満を伝える、あるいは無難に場を収める表現には、以下のようなものが挙げられます。これらもまた、言外に多くの意味を含む「察して文化」の産物です。
「個人の感想です」: 批判的な意見を述べる際、炎上を避けるための防御策、あるいはこれ以上議論したくないという意思表示。
「斬新な味ですね」「今まで食べたことがない味」: 「変わった味(=一般的に美味とは言い難い)」を婉曲に表現する、定番の社交辞令。
「面白いですね」: 褒める言葉や具体的な感想が見つからないときに、とりあえず使われる無難な相槌(作品レビューなどで、特に「内容がつまらない」という裏の意味を持つ)。
「〇〇監督は好きです」「〇〇さんの演技はさすが」: 作品そのものへの批判を避け、制作者や演者の功績を褒めることで、作品への言及を逃れるための戦略。
この言葉が特殊なスラングとして一般化したきっかけは、特定のコンテンツクリエイター、特にグルメレビューを行うYouTuberの存在に強く関連しています。
「啜れました」の元祖は、主にグルメ系のYouTuberが、視聴者の期待に応えるため、あるいは提供者との関係性から、企画などで提供された不味い料理や独特すぎる料理を食べた際に、正直に「不味い」と言えない状況で発した言葉だとされています。
動画クリエイターは、ネガティブな感想を率直に言うことで、動画の雰囲気を壊したり、炎上を引き起こしたりするリスクを避けたがります。そのため、極限のまずさに直面した際、「美味しい」とは言えないが、「食べられない」とも言いたくないという板挟みの状況で、最終的に口にしたのが「(とりあえず)啜れました」「(これは)いけますね」といった、無害な表現だった、という経緯で広く知られるようになりました。
このミームは、食べ物から派生し、映画やアニメ、ゲームなどのエンターテイメント作品のレビューにも応用されるようになりました。これは、作品に対する評価もまた、対人関係やファンの感情に配慮が必要なデリケートな行為であるためです。
(口コミ事例)『果てしなきスカーレット』を観た人が、『どうですか?良かったですか?』と聞かれた時に細田監督は好きだしあからさまに悪口は言いたくない、そんな時に困って、『啜れました!』。
この事例からわかる通り、「啜れました」は、「好きな作者の作品だが、正直言って傑作ではなかった」「友人の勧めで観たが、全く面白くなかった」といった、直接批判しにくい対象に対して、正直な低評価を隠しつつ無難に答えるための「大人の社交辞令」として機能しています。この使い方は、人間関係を円滑にするためのコミュニケーション戦術の一つと言えます。
「啜れました」がミーム(インターネット上で広がるネタ)として定着したのは、以下の文化的・技術的な要因が大きく寄与しています。
汎用性の高さと応用性: 食べ物(味)だけでなく、映画(ストーリー)、音楽(メロディ)、小説(構成)など、あらゆるコンテンツの「評価」に転用可能であったため、日常的に利用される機会が増加しました。
日本人特有の「奥ゆかしさ」と「本音と建前」: 直接的な批判や衝突を避け、相手の気持ちを推し量る文化(ハイコンテクスト文化)に「啜れました」の曖昧で皮肉なニュアンスが完璧にマッチしました。
ユーモラスな皮肉としての価値: 文法的には完全に正しい表現なのに、文脈によって真逆の意味(低評価)になるという皮肉な構造が、知的なユーモアとしてネットユーザーに「面白い」と受け取られ、拡散力を持ちました。
「啜れました」がどのような状況で使われ、そのニュアンスがどう変わるのかを見ていきましょう。この一言の背後にある感情を読み取ることが、ミームを使いこなす鍵です。
| 使用例 | ニュアンス | 裏に隠された感情 |
|---|---|---|
| 「話題の激辛ラーメン、店主の熱意は感じたけど…とりあえず啜れました」 | 味が微妙、または辛すぎて味がよくわからなかったという低評価。 | 期待外れ、または完食したことへの安堵感。 |
| 「先輩が作った試作のスープ。うん、これはちゃんと啜れましたね!」 | 褒めてはいるが、最高の賛辞ではない。最低限の飲みやすさや安全性は保証するという消極的な評価。 | 社交辞令、またはこれ以上聞かないでほしいというサイン。 |
| 「今日の給食のデザート、特に感想はないけど、まあ、啜れました」 | 特に特徴がなく、記憶に残らないレベルの味だったという無関心な低評価。 | 無味乾燥、無難。 |
| 使用例 | ニュアンス | 裏に隠された感情 |
|---|---|---|
| 「期待の新作映画、映像は綺麗だったけど、ストーリーは…なんとか啜れました」 | 映像美は認めるが、物語の内容や展開は退屈、または難解すぎたという低評価。 | 時間の無駄だったかもしれないという後悔。 |
| 「友人に勧められたゲーム、最後までプレイはできたよ!啜れました」 | 「最後まで義務的にやった」という意味。面白い要素は特になく、惰性でプレイしたことを示唆。 | 義務感からの解放、または時間の浪費。 |
| 「あの評論家が絶賛していた小説を読んだ。確かに最後までページは啜れました」 | 途中で投げ出すほどの駄作ではないが、絶賛されるほどの価値は感じなかったという客観的かつ低い評価。 | 評価のズレに対する違和感。 |
使うべきシーン:この言葉は基本的に皮肉やユーモアを含むため、親しい間柄での使用が前提となります。
SNSや匿名掲示板で、炎上を避けつつ、ユーモアを交えながら低評価を伝えたい時。
親しい友人や知人に対し、オブラートに包んで正直な感想を伝えたい時、または場の空気を壊したくない時。
避けるべきシーン:
目上の人や取引先など、公式な場でのレビューやコメント(皮肉だと伝わらず、失礼にあたる可能性が高い)。
製作者本人やその作品の熱烈なファンに対して直接感想を述べる場(不快感や敵意として受け取られる)。
「啜れました」という言葉は、現代のネット文化がいかに言葉を多義的に変化させ、独自のコード(暗号)を作り出しているかを示す典型的な例です。
言葉の表面(建前): 「食べられた」「最後まで鑑賞できた」
言葉の裏側(本音): 「不味かった(面白くなかった)」「もう二度と体験したくない」
この言葉は、直接的な衝突を避けたいという日本人特有の気遣いと、ネットスラングの持つユーモラスな皮肉が融合して生まれた、極めてユニークな表現だと言えるでしょう。言葉の裏を読む能力、すなわち「察する力」が試される、現代の日本語の奥深さを示しています。
「啜れました」は、現代社会におけるコミュニケーションの「逃げ道」として機能しています。正直な感想は言いたいが、人間関係を壊したくない。そんなジレンマを抱えたときに、この「曖昧な合格点」を与える表現が力を発揮します。
もしあなたが、誰かに「この映画どうだった?」「この料理どう?」と聞かれ、微妙な気持ちになったときは、場を和ませつつ正直な気持ちを伝えるために、この「啜れました」を使ってみても良いかもしれません。ただし、使う相手と場所を間違えると単なる失礼な人になってしまうので、TPO(時・場所・場合)をわきまえて、ユーモアとして活用するようにしましょう。