2025年放送のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で、今、最も注目を集めているのが、主人公・蔦屋重三郎(演:横浜流星)を支える妻「てい」の存在です。
てい役を演じるのは、落ち着いた佇まいと深い表現力を持つ実力派女優の橋本愛さん。史実ではその名前すらほとんど記録に残っていない「謎の妻」が、ドラマというキャンバスの上でどのように命を吹き込まれ、奔放で時に危険な綱渡りをする重三郎の人生に、どんな影響を与え、そして共に歩むのか?
この記事では、まず「べらぼう」というタイトルに込められた江戸の文化背景から紐解き、歴史上の蔦屋重三郎の妻に関する貴重な手がかりを探ります。そして、大河ドラマで描かれる「てい」の知られざる人物像と、彼女が重三郎の成功の陰で果たした役割を徹底解説します。
大河ドラマのタイトルにもなっている「べらぼう」という言葉は、単なる罵倒語ではなく、当時の江戸の熱狂的な文化と、蔦屋重三郎という一人の男の型破りな生き様が凝縮されたキーワードです。
「べらぼうめ!」という言葉は、現代でいう「この野郎!」に近い、相手を罵倒する表現や、向こう見ずで常識を打ち破る人を指す言葉でした。しかし、この言葉は単に侮蔑的なだけでなく、江戸の庶民の間では、既成概念や厳しい身分制度の枠に収まらない奔放さ、権力に屈しない反骨精神、そして度胸の良さへの一種の賛辞としても使われていました。
重三郎が活躍した時代は、庶民が文化を牽引し始めた時代です。彼らが愛したのは、華やかで、時に風刺的で過激な新しい表現でした。重三郎の生き方は、吉原の引手茶屋の養子という出自から、日本橋の「江戸のメディア王」へと成り上がる過程、そして幕府の弾圧にひるまない姿勢そのものが、当時の庶民が喝采を送る「べらぼう」な精神を体現しています。この熱狂こそが、重三郎の出版事業の推進力となったのです。
蔦屋重三郎は、ただ出版物を印刷・販売する版元(出版社)ではありませんでした。彼は、まさに時代のインフルエンサーであり、文化的なムーブメントを創り出す「プロデューサー」でした。彼は、喜多川歌麿の洗練された美人画、東洲斎写楽のわずか10ヶ月で世を震撼させた役者絵、山東京伝の洒脱で社会を風刺する黄表紙や洒落本など、当時の最先端の芸術家や作家の才能を次々と見出し、世に送り出しました。
彼が出版した浮世絵や読み物は、厳しい検閲や身分制度の枠を超え、庶民の知的好奇心と娯楽心を刺激しました。特に、当時の風俗や政治を皮肉った黄表紙(きびょうし)や洒落本(しゃれぼん)は、江戸文化の爛熟期を象徴するものであり、重三郎の「耕書堂」は、その最前線基地でした。重三郎の出版活動は、江戸の文化水準を底上げし、「本を持って世を耕す(耕書)」という彼の理念を文字通り実現しました。
「べらぼう」の語源については、「甚六(じんろく)」や「六兵衛(ろくべえ)」といった愚か者を指す言葉の音変化説や、「言わば(いわば)」が転じたとする説など諸説あります。しかし、その持つ意味合いは、「ベラボウな」振る舞いとは、常識や権威を気にせず、自分の信念を貫く大胆さや、度胸の良さを指す点が共通しています。
蔦屋重三郎は、時の老中・松平定信による厳しい「寛政の改革」の文化弾圧に際しても、筆禍により財産の半分を没収されるという重罰を受けながらも、屈することなく庶民の心をつかむ出版を続けました。この反骨精神と不屈の情熱こそが、大河ドラマのタイトル『べらぼう』に込められた、重三郎のアウトローで情熱的な生涯を象徴していると言えるでしょう。
蔦屋重三郎(1750-1797年)は、わずか48年という短い生涯で江戸の出版界に革命をもたらした、類稀なる才人です。
重三郎は、もともと吉原の遊女屋の裏方を担う引手茶屋・庚申屋の養子として生まれました。幼少期を吉原という絢爛な場所で過ごしたことが、彼の美意識と、人を見抜く才能の基盤となったと推測されます。彼は20代で日本橋通油町に移り、地本問屋(出版社)「耕書堂」を設立。吉原での経験を活かし、当初は吉原の案内記である『吉原細見』の出版で地盤を固めました。
その後、彼は浮世絵や文学の世界で革新を起こします。特に、わずか10ヶ月間で姿を消した謎の絵師、東洲斎写楽の役者絵を短期間で集中的に世に出したことは、彼の並外れたプロデュース能力と決断力を示す有名なエピソードです。彼の業績は「書をもって世を耕す」という理念のもと、文化芸術を特権階級のものから庶民のものへと変革し、江戸の出版界をリードしました。
史実では、重三郎と妻の間に子どもがいたという記録は残念ながら残されていません。重三郎の死後、彼の事業と屋号「蔦屋」は、有能な番頭(手代)の一人が婿養子(むこようし)となり継承しました。江戸時代の町人社会、特に商人の世界では、血筋よりも家業の継続と繁栄が最優先されました。そのため、才覚のある者を養子に迎えて事業を継がせることは、ごく一般的な、そして合理的な形でした。
この婿養子による継承という形で、重三郎の文化的な遺産と事業は後世に引き継がれました。現代において、直系の「子孫」の明確な記録は不明瞭ですが、彼が世に送り出した歌麿、写楽らの作品群や、彼が築いた出版文化のシステム自体が、計り知れない価値を持つ文化的な「遺産」として今も残っています。
重三郎が生きた18世紀後半は、江戸幕府にとって大きな転換期でした。初期は、老中・田沼意次による重商主義的な経済政策のもと、町人文化が華やかに栄え、重三郎もこの爛熟した文化の波に乗って成功を収めました。
しかし、意次失脚後、老中・松平定信が主導する「寛政の改革」が始まると、時代は一変します。定信は、庶民の風紀粛正と質素倹約を強要し、黄表紙や洒落本といった風俗を乱す出版物に対し、厳しい検閲と弾圧を加えました。重三郎は、この政治的緊張の中で、いかに権力に抵抗しつつ、庶民の心に響く娯楽と知識を届け続けるかという、困難な挑戦を強いられ続けました。
大河ドラマ『べらぼう』で橋本愛さんが演じる「てい」は、史実のわずかな手がかりと、物語の必要性から生み出された、非常に魅力的なキャラクターです。
ドラマの設定では、ていは市中の本屋の娘として育ち、後に重三郎が手に入れる老舗地本問屋「丸屋」の女将を務めていました。重三郎は、丸屋買収を巡る激しい攻防の中で、ていが「本は子どもに文字や知恵を与え、その子らの一生が豊かになる」という、「書をもって世を耕す」という自身の理念「耕書堂」に通じる想いを、静かに語るのを聞き、深く感銘を受けます。
この文化に対する共通の志と、お互いの価値観の核となる部分が深く共鳴したことが、二人が夫婦となり、生涯のパートナーとして歩み出すきっかけとなったと描かれています。これは、単なる恋愛や政略結婚を超えた、仕事の同志としての精神的な結合と言えるでしょう。
史実の妻は名前が不明ですが、菩提寺の戒名に「妙貞」という文字が残されていることから、「てい」という名前が考察されており、ドラマではこの名を採択しています。この「貞」という文字は、貞淑さや、揺るぎない品性を示すものであり、彼女の性格が「謹厳実直で控え目」でありながらも、「決してブレない強い意志」を持つというドラマの人物設定の根拠の一つとなっています。
奔放で情熱的な重三郎に対して、ていは感情に流されず、常に冷静に全体を俯瞰し、家庭と商売の「地」に足をつけて支える役割を担いました。彼女は、夫を「陰で支える」という古典的な妻ではなく、自分の意志と哲学を持つ対等なパートナーとして、重三郎の隣に立ち、彼の暴走を静かに見つめる「文化的な鏡」のような存在だったと言えます。
ていは、重三郎の天才的な閃きや大胆な行動に対し、現実的な安定と安心感を与えた存在です。重三郎は、吉原という刹那的な世界から出てきた人物であり、吉原一の花魁・瀬川(夢や刹那の美しさ、華やかな愛の象徴)との間で心を揺り動かされます。
これに対し、ていは重三郎に「暮らしに根ざす愛」を提供しました。ていの存在は、重三郎にとって、奔放な夢を追う人生の中で、唯一立ち戻るべき静かなよりどころ、つまり「家」と「事業の精神性」を象徴していました。彼女の存在があったからこそ、重三郎は度重なる弾圧にもめげず、地に足をつけて大きな事業を成し遂げることができたのです。
重三郎の子どもに関する歴史的な記録は、彼の妻と同様にほとんど残されていません。
前述の通り、史実上の重三郎の妻には子どもがいたという記録がなく、直系の血筋は途絶えたとされています。重三郎の事業は、彼の死後、優秀な番頭(手代)が養子となって継承し、蔦屋の屋号と文化事業を守り続けました。
この継承は、重三郎がどれほどその番頭の才覚と事業への理念を高く評価していたかを物語っています。血の繋がりよりも、築き上げた「耕書堂」の理念を次世代に正しく引き継ぐことが、江戸のメディア王にとって最も重要な責務だったのです。
直接の血筋は途絶えたとされますが、重三郎が築いた「耕書堂」というブランドと、彼が世に出した浮世絵や黄表紙は、日本美術史における最大の遺産です。彼の功績は、家系図の継承以上に、江戸の文化を後世に残したという点で非常に大きな意義を持っています。彼のプロデュース手法や審美眼は、後世の出版文化に計り知れない影響を与え続けました。
史実では記録がないため想像の域を出ませんが、重三郎は寛政の改革において、財産半減、手鎖50日という厳しい罰を課されています。これは、一家にとって経済的・社会的な壊滅の危機を意味しました。
ていは、この不安定な時期に、一家の家計を再建し、番頭や使用人たちをまとめ、重三郎の不在時も商売の火を消さないよう、裏方として多大な苦労を背負っていたことでしょう。彼女の「謹厳実直」な性格と、町人として家業を守り抜くという強い覚悟が、この苦難の時代を乗り切るための最後の砦となったはずです。
ドラマ『べらぼう』では、重三郎のほかにも、天才絵師・喜多川歌麿(艶やかな美人画の大家)、謎の絵師・東洲斎写楽(強烈なデフォルメの役者絵で有名)、そして戯作者・山東京伝(洒落本で一世を風靡したマルチクリエイター)など、江戸文化を牽引したスターたちが続々と登場します。また、彼らの才覚を見出した平賀源内や、重三郎の幼馴染である花魁・瀬川、そして政治を動かす田沼意次や松平定信といった権力者たちとのスリリングなドラマが展開されます。
橋本愛さん演じる「てい」は、単に夫を支える従順な妻ではなく、自分の意志と、文化に対する深い哲学を持つ自立した女性として、重三郎と対峙し、時に彼を諫める存在として描かれます。脚本家・森下佳子氏は、史実の乏しさゆえに、このキャラクターを「自由に、豊かに」創造できるとし、ていを重三郎にとっての「羅針盤」、つまり文化事業という大きな夢を共に目指す「伴走者」として深く描くことを目指しています。
歴史の記録が少ない女性を主役のパートナーとして描くことは、制作陣にとって大きな挑戦ですが、同時に創作の自由度が高まる部分です。史実のわずかな手がかり(戒名、妻の存在を記した墓碑)を尊重しつつ、現代的な「パートナーシップ」の視点を取り入れることで、視聴者が感情移入しやすい、自立した女性像を創造することが可能になります。橋本愛さんが、過去にも大河ドラマで「静かな強さ」を持つ妻の役を好演してきた経験も、ていというキャラクターに説得力と深みを与えています。
ていが「丸屋」の女将であったという設定は、当時の町人女性が持つ社会的な影響力の大きさを反映しています。江戸時代の町人階級の女性、特に商家の「女将(おかみ)」は、単なる主婦ではありませんでした。彼女たちは、内では家業の金銭管理、在庫管理、番頭や奉公人たちの統率、さらには夫が留守の際の取引先との交渉など、実質的な最高経営責任者(CEO)としての役割を担っていました。ていの活躍は、江戸の町人文化が、女性たちの隠れた経営力と知性によって支えられていたことを示唆しています。
重三郎という天才が、その奔放な活動に集中し、次々と新しい才能を世に出すことができたのは、ていが提供する精神的・経済的な「安定した日常」という揺るがない基盤があったからです。夢を追う者にとって、家庭という最後の安全地帯、そして経営理念を共有し、冷静に現状を分析できるパートナーの存在は、最大の成功の知恵となります。ていの知恵は、重三郎が「べらぼう」でい続けるための、「静かな錨(いかり)」の役割を果たしたと言えるでしょう。
ていの生き様から学ぶべきは、「静かな強さ」と「自己決定の意志」です。彼女は、夫に依存するのではなく、自分の軸となる「書をもって世を耕す」という理念を持ち、自分の意志で人生を選択して進んでいきました。この、自己の信念に忠実でありながらも、パートナーを冷静に支える「自立と共存」の姿勢は、現代の起業家精神を持つ夫婦や、キャリアを築く私たちにとっても、模範となる生き様と言えるでしょう。
重三郎とていの物語は、愛の形が一つではないことを雄弁に語っています。吉原の花魁・瀬川との愛は、一瞬の「夢」の輝きや、文化的な情熱の結実だったかもしれません。一方で、ていとの愛は、人生という長い道のりをかけて共に歩む「現実」と「理念」の共有です。どちらか一方が正しい、あるいは優れているのではなく、重三郎という一人の人間にとって、人生の中で両方の愛の形が重要であったという点が、この物語の最も深いテーマの一つです。
「べらぼう」の物語は、権威に臆せず、人々の心に響くものを届け続けた重三郎の反骨精神と起業家精神が最大の教訓です。彼の生涯は、芸術や文化の自由が、いかに権力によって脅かされやすいかを現代に伝えています。そして、その裏には、揺るぎない理念と、それを共有し、厳しい時代を共に耐え忍んだ妻「てい」の静かな献身と知恵があったことを、私たちは忘れてはならないでしょう。
重三郎が浮世絵や読み物という「メディア」を通して江戸の人々を熱狂させたように、現代も様々なメディアやコンテンツが世の中を動かしています。重三郎の物語は、才能を見出し、プラットフォームを築き、文化を創造するという、彼の「耕書堂」モデルが、時代を超えていかに重要であるかを私たちに示唆しています。ていと共に築いた彼の文化事業は、江戸の未来を耕す種となり、今日の日本文化の礎となっています。
2025年大河ドラマ『べらぼう』の「てい」は、史実のベールに包まれた存在だからこそ、私たちに多くの想像力を与えてくれるでしょう。
橋本愛さんが演じるていは、重三郎の才能と情熱を深く理解し、「書をもって世を耕す」という同じ夢を追いかける、理想的な対等なパートナーとして描かれます。彼女の「静かな強さ」は、時に激しく、時に危うい重三郎の人生を支える「力」となったに違いありません。
重三郎が世に出した華やかな文化の裏で、静かに、しかし力強く家庭と事業の屋台骨を支えた「てい」の生き様から、私たちは現代のパートナーシップや仕事における大切な知恵を学ぶことができるはずです。
今後のドラマの展開で、ていと重三郎がどのような夫婦の道を歩んでいくのか、ますます目が離せませんね。